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本になる前の、本について。

日常 読むこと

ひと月ほど前からKindleで読む、を試しています。
黒田夏子『abさんご』が電子書籍になっていて、ミーハーな心がくすぐられたので買ってみました。お値段は900円、ただし、該当作品のみ。単行本は他に「毬」「タミエの花」「虹」の三作品が採録されています。こちらは1260円。(というお値段に気づいてたら単行本を買ったのですが……)

一作品幾ら、という計算をするのはとても愚かしく短絡的ですが、でも、変なお値段だと思ってしまいました。
あまり安く売るわけにもゆかないでしょう。Kindleショップで値引きされているものは僅かです。芥川賞という一定の権威や評価が示せるラインも必要かもしれません。一作品だけでの販売ですと単行本と同じ値をつけるのもおかしいでしょうし、お得で買いたくなるラインとの折り合いがあるのかしらん。などなど。


ちょうど同じときに、中山可穂『悲歌』を読みました。「文庫版あとがき」に作家が作品を世に出すことへの思いとKindleについて記してありましたので、引用を。
遅筆とスランプで、もう出版社から紙の本は出せないかもしれない、というなんとも言いようのないところからKindleの話題が始まります。

これからはいざとなれば「Kindleで自費出版」という最終手段もあるわけで、わたしのようにたくさん書けずたくさん売れない超マイペースの作家にとっては、Kindleの登場はある種の福音となり得ます。

紙の本は必ず絶版になり、それは作家にとって「痛みと悲しみ」を伴うと言い、こう続けます。

出版社とも取次とも印刷会社とも無縁のシステムから本が生まれ、直接読者に届けられるとしたら、それはやはり革命的なことであり、魅力的なことと言わざるをえません。作家が作品を仕上げてアップロードすると、それを読みたい読者がお金を払ってダウンロードする。そこには余分なものは何も介在せず、不当な中間搾取もありません。誰かに足元を見られて自尊心を傷つけられることもありません。

Kindleを「シンプルな出版の形態」と表現していました。
こうやって考えて、作品を送り出している方がいらっしゃるんだ、と姿勢を正しました。作品は読んでしまってもうあとがきなので、今更居住まいをどうこうしても遅いのですが。


値段をつけることもだけれど、そもそも出版するという評価のうえにあること。どうしようもなく届けようとしている「作家」がいること。いくら払うかの前に、いくらにするか、出版するか、という評価があること。900円に始まった違和感とともに、そういうことを考えていました。

読むことについて関心があったつもりです。けれど、本が本になる前の段階についてはあまり意識したことがありませんでした。私が気にしていたのは、読むということ、どのように読むのか(あるいは読ませるのか)ということだけです。
「本になる」「手に取る」「買う」などの段階があって、「読むこと」なのに。
作品の価値、出版すること、って何なのか、意識してみようと思いました。とりあえず、手に取るときと買うときから。

  • 『abさんご』 単行本

abさんご

abさんご

abさんご

abさんご

  • 『悲歌』文庫版

悲歌 (角川文庫)

悲歌 (角川文庫)


《追記》
関係ありませんが、『悲歌』の表紙は単行本のほうがすきです。

900円って高いような、とは言いつつ、「abさんご」は買って読んでとても満足。
わかりやすく書くこと、一読して伝わること、が今よいとされていることでしょうし、私もそれに注意しながら書いています。文意がとりにくい文章を読むことは(よほどでない限り)ありません。単語を単語だと認識し、構文をとりながら読む、というのは新鮮でした。
よく引用されている蓮實氏の選評を見つけました。