うっかりすっかり忘れていたこと。

思い出したので、ふわっとしたひとりごとです。忘れないように書いておこう。

どうして教員になったのか、どうして図書館や大学にこだわるのか、なぜこの会社なんですか、という問いをいただきます。少しずつ表現を変えて、色々とがんばってがんばって答えています。昨晩やりとりをしていて、そういえば、教員や図書館員は大学の知識をアウトプットしたり還元させたりしたくて関心をもった道だった。というのを思い出しました。もうすっかり忘れてた。

学生のときは、大学で得たもので人の役に立ちたかった。日本語史(平安時代)なので随分無理があるのですが。。
それで、たくさん資格をとってみたりもしたのでした。司書、学芸員、中高教員、司書教諭。院生のときも人より多く授業に出ていた気がします。手当たり次第だねとか、就職試験の面接だと「いったい何がしたいんですか、飽きっぽいんですか(要約)」とか言われたことがあります。資格をもっていても就職できるわけでないことは一応知っていましたけれど、それでももっておけば、学んだことを使ってやっていけるかも、と。
そういう大学の知識を社会に還元したい気持ちが、教員や図書館、大学へのはじめの動機のひとつでした(と回顧してみます)。
とてももがいていた割に学生生活や研究生活に自信をもっている発想で、無知で無邪気だなあと呆れるのですが。本当にするっと忘れていて、久しぶりに思い出しました。

今の私はどこに属すというよりも、いろんな館種や立場、役割を脇から見ていて。
情報流通っていろんな役割と方法があるけど、うまく循環させられるようにしたい、アカデミアからの情報発信や場をつくることでサポートをして、社会・産業界の認知度をあげるような仕事をしたいなあ、と思っています。忘れてたけど少しつながってた。
立つことを目的として立つことを叶えた後に歩みゆきたい(笹井宏之「八月のフルート奏者」)です。

そしてegamidayさんのツイートはふぁぼ連打したいです。


あと。社会に出ても役に立った知識は語用論(研究テーマとは違う)でした。いつも談話分析しようとしているわけじゃないですが、話すのが苦手なので。