本と教室と動線のこと。

教員であった(と過去形を使うのにまだ慣れません)頃、教室のレイアウト[*1]を観察するのがすきでした。
おもしろいと思った教室には当然ながら手をかけてあります。進学に力を入れているところは、ロッカーに貸出問題集[*2]と計算用紙箱を設置したり。ハンガーを置いて美化を促すところもあり、理系クラスではロッカーの上に簡易水槽を置いてエビを飼っているところもあり。
けれどどんな教室にも共通しているのは、教室の入り口すぐ、黒板側の壁には超・重要なお知らせコーナーをつくることです。時間割の変更や行事、各種〆切などなど。生徒がまず見る位置ですから。
物理的な動線と心理的な動線を入れこんで考えてある教室は観察に飽きません。
ここまでは、実は、前置き。
先日、公立中学校の教室に入る機会がありました。目を引いたのは、その黒板側の壁に「図書だより」が掲示してあったことです。もちろん他の掲示物もありましたが、「こ・この一番大事な位置に図書だよりなのね! それでいいのねっ!!」と、正直そう思いました。担任の先生が学校図書館に意識的なのかを知る術はありませんでしたが、このクラスの生徒たちは毎朝図書だよりをみて生活するのです。なんというか、すりこみです。それってすごいことで、何よりの学校図書館アピールです。
id:chik325さんのブログ学校図書館と学校司書の話題があって、記事の主旨はここだけではないのですが引用を。

たしか学校図書館の話で、「先生がおすすめする本は一気に借りていかれるので、[普段からおすすめをしてもあまり本が動かない]司書としてはちょっとさみしいらしい」みたいなことが言われていて、まぁそうだよなとか、単に言われたことをやっとけばいいと思ってるだけじゃないの? とか、その場では思っただけだったんだけど(発言せず)、
 (略)
だから、信頼できる人の勧めた情報を積極的に摂取していくというのは、無意識でもかなり理にかなった情報探索行動ということになるのかなぁ、なんて考えた。

「先生が信頼できる情報発信者であること」に付け加えるなら上記の動線かな、と思うのです。
物理的なものではなく、ストーリーのような。問題集やハンガーやエビのような、意図です。それに授業の関連書や、教員の個人的な体験を話した後の言及、感じ考えてほしいとの願いを込めて(見え隠れする熱意とともに)紹介される図書雑誌……。たとえば季節のコーナー展示をするのとはやはり違うはずです[*3]。学校や生徒を見て、それらに寄り添っていることで把握できる、あるいは作り出せる心理的な動線、みたいなものがあると思うのです。それを把握していれば、情報を発するのによい瞬間や手段を選ぶことができます。また、その積み重ねがクラス経営なんだろうな、と考えています。
物心両方の動線を見出したりつくったりすることができるのは、生徒を一番たくさん見、生徒と一番たくさん話している(担任の)先生なのだと思います。自覚的か否かは別として、常に動線を考えているのだと思います。私のような若手、あるいは単なる授業担当者には代われない経験やコミュニケーションなんだろうな、と。だから教員は、授業やクラスや学校にプロとして対していられるし、そうでないとプロじゃないのかもしれません。学校司書さんを云々したいわけではないのですが、まあ本の動きが違うのは当たり前だし、教員が授業作りにプライドをもつのも当たり前なのかな、なんて思いました。
動線って大事よね、と思ったことでした。

*1:小学校でよくあるのは黒板上部に目標、絵が貼ってありますよね、ああいうのです。

*2:教員の私物です。

*3:むしろ違ってて貰わないと、くらいの。