『高大接続関係のパラダイム転換と再構築』を読みました。

東北大学高等教育開発推進センター発行。「新時代の大学教育を考える」とのテーマで開催された東北大学高等教育フォーラムの第8・10・12回(それぞれ2008・2009・2010年)を基に構成されたもの、とのことです。

AO入試の仕組みや高大接続については以前から関心がありました。高校生を大学におくりだす、その方針や姿勢、みたいなものに釈然としないものを感じていたりもしました。その頃読んでいたのが、本書です。消化できないままずっと考えていたのですが、一旦ここでメモ。

高大接続関係のパラダイム転換と再構築
はじめに 木島明博
序章 東北大学高等教育フォーラムの立ち上げの頃 ―想いと期待と― 荒井克弘

第1章 AO入試の10年と今後
第1節 大学入試の多様化と高校教育 ―東北大学型「学力重視のAO入試」の挑戦― 倉本直樹
第2節 草の根の高大連携活動とAO入試 大久保貢
第3節 AO入試のパラダイム転換 ―教育の一環としての大学入試― 倉本直樹

第2章 大学入試と高大連携活動
第1節 入試問題を用いた高大連携 ―新潟大学ヴァーチャル入試体験― 中畝菜穂子
第2節 大学入試における高大連携活動の評価 ―その制度的妥当性および予測的妥当性の問題― 木村拓也
第3節 高大連携活動と町おこしについて 渡邉利夫
第4節 高大連携活動のパラダイム転換 ―知恵の宝庫としての高校、大学― 倉本直樹

第3章 良質な大学入試問題とは
第1節 テストの理論と大学入試の教育機能 村上隆
第2節 大学から見た良質な入学試験問題 森田康夫
第3節 メッセージとしての大学入試問題 高梨誠之
第4節 大学入試問題のパラダイム転換 ―入試問題の質を問う意義― 倉本直樹

おわりに ―総括と展望― 倉本直樹・関内隆
執筆者紹介
高等教育ライブラリ」の刊行について 木島明博

気になった箇所を取り出して感想を。3節ないし4節を、それも切り取っていますので、申し訳ないことにとても乱暴です。

第1章 AO入試の10年と今後

  • 東北地方における東北大学は、高校の教育の標準に置かれる。そのなかで大学の課す入試の質は。
  • 高大連携活動は学生募集、入試広報活動の一環と位置付けられがち。入試もその一環に組み込まれていく傾向は否めない。
  • AO入試の自由度の高さは、学生募集にとって都合がよく、学生を確保する手段として確実性が高い。
  • 更に高大連携活動は大学からの持ち出しとなって、高校にとっても都合がいい。
  • AO入試と高大連携活動は連動していて切り離せない。入試の教育的機能と高大接続の在り方を考えるべきなのでは。

地元志向、の原因に経済的な事情も加わります。更に、高校の合格実績に関するアンケートは国公立大学がメインで私立大学は有名校しか問われない、だから国公立で実績を上げないと、と聞いたこともあります。元勤務先も、成績上位層と中位のラインは地元国立大学水準に到達する(する可能性がある)か、というところで引かれていました。教員もそこを目指して指導することに、なってしまいます。ここでの指摘は常々感じていたことで、私は高校のその姿勢を疑問に思っていました[*1]。その上で入試の質をどうもっていくのか。この切り替えは考えてもみないことでした。

第2章 大学入試と高大連携活動

  • 新潟大学の、入試の解説をすることによって求める学生像を示すという「ヴァーチャル入試体験」[*2]。
  • 熊本県立矢部高校の、町おこしとしての高大連携事業[*3]。
  • 東北大学の、学力と東北大学への熱意を重視したAO入試[*4]。

どれも印象的な事例です。
ここでの指摘は、高校での活動をいかに評価すべきか。AO入試のための探究活動[*5]になっている可能性があり、高大連携活動は教育的意義に疑問が生じる。というもの。

高校は、入試の“ため”の教育活動をしているのでは、と突き付けられました。探究活動だけでなく、AO入試に関わる全ての場面で、その妥当性ははかられていると思います。AO入試対策として、論述・面接指導やエントリーシートの指導をすることになります。教員はどのていど“指導”をすべきなのでしょう。論述や面接は試験会場で生徒が自身をさらしてきます。では、高校教員が直接的に関われる、エントリーシートは。もっとも、どれだけ高校教員が力を尽くしたところで、生徒の実力は面接で露見してしまうのでしょうが。としても、大学教員対高校生ではなく、大学教員対高校教員というせめぎ合いの図は容易に想像できます。ここの指摘で痛いなあ、と思ったことです。
ただ、入試のためとはいえ、教育活動を行うメリットは必ずあります。この本を読んでいたころは、AO入試を見据えた学内小論文講座の担当者でした。入試のための[*6]企画なんて好きじゃない、と思っていました。ただ、始めてみると、それによって、自分の認識よりも生徒たちが読めない・書けないというのにも気付かされました。国語の成績も振るわないはずです。授業でのアプローチを変えた、ということがありました。教育効果はどのように出るのかわかりません。入試のために(偏差値をあげるための)受験勉強をするとしても、その動機はどうあれ生徒に勉強を促す効果は、あるのですから。

第3章 良質な大学入試問題とは

  • 大学入試の問題は、求める学生像を示すメッセージ。テスト形式が受験者に与える影響が、学力と連関する。
  • 質の良い試験問題とはどのようなものか、という問い。問題の形式や方法、その問題を出題することによって自分の大学が求めるような知識・素質・学習意欲を持った受験生が合格する割合が増えるか? など。
  • 入試問題は受験者とのコミュニケーション。

大手予備校の教員向け研修で「(大学入試を含む)試験は作成者からのメタメッセージ。それに応じられるようなアカデミックで、研究を牽引する人材を育て、送り出さなければならない」と言われて蒙を啓かれたことを思い出します。麻布中学ドラえもんの出題が少し前に話題になっており、塾講師がその問題を解釈しています。

これも、入試はコミュニケーションという観点に立って、その求めに応じられる教育を行っている方(塾)なのでしょう。また、出身大学を決めたのは「問題がいちばんおもしろかったから」という理由だった、という方のお話を伺ったことがあります。メッセージの送受信に成功している貴重で幸運な例ではないか、と思いました。顧みて、送り出す側はどれだけコミュニケーションに意識的なのか。将来の日本を牽引する、文字通り宝物を育てているという気持はあるのか。研修に行ったときに反省し、思い出しては反省し、としていました。結局できないままです。次、何らかの形で教育に関わることができたなら、もっと大切にしていきたい、大切にする、と決めています。
コミュニケーション、という視点を考えると、それは入試だけではなく、募集や広報も同じです。オープンキャンパスがお祭、イベント的になっているようにも見えて、むしろ入試募集のコミュニケーションをもっと意識した方がいいのかもしれないな、と。高校の募集活動を手伝ったことがありますが、その時はその場かぎりの気持ちよさや楽しさを発信することしかできませんでした。一過性のイベントではなく、ここに来てほしい・育てたい・関わり合いたいひとが反応してくれるようなメッセージを伝えられる場を、どのように作るのか。また受け取るのか。ポスターやチラシ1枚、教員・職員の発する一言だってメッセージですから、それって難しいなあああ、と。


この本を通じてのテーマ、メッセージは、大学入試の教育的機能・教育の一環。それをどう考え、扱うのか。だと思います。教員・高校・出題者……の視点から発信された“メッセージ”を考えていたい、と思いました。高大接続と大学入試は切り離せません。従来とは違った視点で入試をとらえ、教育に反映させることとその可能性を模索すべき、教えていただきました。
拡大すると、そうやって入ってきた学生に関わる・育てるあらゆるひとが、どれだけメッセージを意識して関われるのか。アドミッション・ポリシーを念頭におく、など、学生に対してどのようなポリシーをもってサービスを行うのか。にも繋がると思うのですが、ちょっと壮大かな。

文科省がいろんなところで改革を進めていて、フォーラムが開かれた7年前とは状況も変わっていますが、視点や論点がちりばめられていました。入試については、就職以来ずっと考えてきたことです。この本についても半年くらいもやもやぐるぐるして、メモを前から書いては消し、していました。結局はふんわりした言葉にしかできず。
このままでは勤めていたときの感想を忘れてしまうから、と書いたのですが、実際たくさん忘れている上に長くて読みかえす気になれません。困りました。

*1:正直に申しますと、気持ち悪く思っていました。

*2:新潟大学事業報告書 H17 http://www.niigata-u.ac.jp/profile1/pdf/accountability_050/jigyohoukokusyo16.pdf

*3:東海大学農学部と、花の栽培による地域活性化、竹の堆肥の中にいる微生物の研究。事業の様子は管見の限り見つけられませんでした。

*4:東北大学入試センター アドミッション・ポリシー http://www.tnc.tohoku.ac.jp/admission_policy.php

*5:探究活動評価はSSHやSPP指定校、高大連携が可能な環境にある高校に有利となるのでは、という指摘もありました。

*6:それも、AOのためだなんて、と思っていました。実際にはAO入試によって進学していく生徒は多かったのですが。